Mamma mia!

私の家族を知っている人は、家族の中で一番常識ある人物は母だと思うかもしれない。それは、大きな間違いである。彼女は非常にクレージーな人なのだ。先日実家に帰った時に、このことを再確認した。

実家に戻って二日目の朝、まだ目が覚める前のこと。意識の片隅で、誰かが自分に話しかけているのがぼんやりとわかった。はっきりとは聞こえないが、母に違いない。私は適当に「うーん、うーん」と答えた。

次の瞬間、寝ている私の口にパンが押し込まれた。わけがわからず、だけど押し込まれたものは食べるしかない。仕方なくむしゃむしゃとパンを食べ、夢の続きに戻った。

数時間後起きてから、このことを思い出して母に訊いた。
「ねえ、寝てるときパン口に入れたでしょう?」

母はしれっとして答えた。
「だってパン焼けたから、お姉ちゃん食べたいかなぁと思って」

寝ているところにパンを食べさせられたのは今回が初めてだが、母は昔から寝ている人にちょっかいを出す傾向がある。得意技は、親指で寝ている人の鼻の穴をふさぐこと。これは決まって早朝、自分ひとり早く起きてしまい退屈しているときに実行する。

寝ている人にしのびより、まず片方の鼻の穴をふさぐ。鼻が通っているのを確認して、次にもう片方をふさぐ。やられたほうは、夢から半分覚めてこう言う。
「ちょっとぉぉ、何すんのぉ!(怒)」

母は答える。
「だって、鼻つまってないかなぁと思って」

両方の鼻が通っているときは問題ないが、片方の鼻がつまっている時は、通気口を失った空気が「すぴー、すぴー」と母の親指の下で虚しい音を立てる。待っていました!とばかりに、母はすかさず「○○ちゃん、鼻つまってるよ!」と、寝ている人に話しかける。

マンマ・ミーア!

Where it all began

ものを作るのが好きだ。自分の手を使って作るのであれば基本的に何でもいい。素材と自分が合わさって新たなものが生まれる、それがたまらなく楽しい。仕事では「ものづくり」に直接関わることはほとんどしてこなかったが、プライベートでは気付くといつも何か作っていた。

弟は大学でデザインを学んでいる。彼も幼い頃から、ひとりで黙々と木を削ったり穴を掘ったり、ものを作ってきた。大学卒業後も、デザインはじめものづくりに関わることをしていくことだろう。

この間、弟と久しぶりに食事をしたときに、どうして自分たち姉弟はこんなに「ものづくり」にこだわってしまうんだろう、という話になった。二人とも思いついた理由は同じだった。それは、両親が私たちの育った家を手作りで建てたことだ。

友達について土地売買の抽選会に行った両親は、運よくも抽選に当たり予期せず土地が買えることになった。だが購入するには、3年以内に入居しなければならないという条件があった。計画外のことだけに、さあどうしようと悩んだことだろう。

100%体育会系の父と絵を描くのが好きな母が出した結論は、自分たちの手で家を作ることだった。建築は全く専門外の父は、「日曜大工の会」という勉強会に参加し、マイホームの建て方を研究した。共働きだった両親は、幼い私を連れて毎週末その土地に通い家を作った。基礎のための土掘りから全て自分たちでやったのだから、その労力は計り知れない。建築現場は格好の遊び場で、私もいつも喜んでついて行った。

3年の月日が過ぎ、期限ギリギリのところで何とか家は建ち、一家は新しい家に入居することができた。Tae、6歳。家族は4人に増えていた。

期限に間に合わせるために、とにかくまずは住めればいいということで、詳細は全て後回しだった。引っ越した当初はトイレのドアもなく(!)、壁もブロックむき出しだった。入居してからも、作り足したり改善したりと、家作りが終わることはなかった。

その家も入居からはや24年。去年はプロの手を借りて1階を大々的にリフォームした。まさに家族の手で作ってきた家がプロの手によって変わってしまうかと思うと、なんだか寂しい気持ちでいっぱいになった。だが、結果、以前とはまた違った魅力を持つ家になった。そして、内装が多少変わっても、土台には父と母が掘った溝があり、壁には彼らがひとつひとつ積んだブロックがあることを思うと、本質的にはなんら変わりのないことに気付く。

今年で60になる父は、現在ウッドデッキを製作中。1階と2階にわたるかなり大掛かりなものだが、本人は相当楽しんでやっている様子だ。暖かくなる頃にはバーベキューパーティができるだろう。

私たち姉弟の基礎には、手作りのこの家がある。そして、この家を作った父と母がいる。

Sister meets brother

久しぶりに弟と会って食事をした。例の6歳年下の「和解しがたい性格の不一致」の弟だ。大学3年生の弟は、現在就職活動の真っ只中。私はキャリアを築くべく方向転換奮闘中。二人ともひとつの転機に立っている。

相変わらずお互いに言いたいことを言いたいだけ言い合って、平行線上をまっしぐらに進む傾向があった。だが、二人とも少しは成長したのだろうか、人間らしく意見交換ができた。そして、これほどまでに性格が違うのに、弟の中には自分と同じ性質がはっきりとあることを再確認した。なんだかんだ言っても出所は一緒なのである。

ああだこうだ言い合ってお互いに一通りすっきりした後、店を出て駅に向かった。その道中、唐突に弟が言った。

「僕の男友達には、自分の考えをはっきり言えるような強い女性を前にすると引いてしまう奴が多いんだ。そんな女性は面倒くさいし、そもそも恐くて近づけないって。でも、僕は違うんだよね。僕はそういう女性のほうがかえって話しやすいんだ。まあ、Taeさんに随分鍛えられたからなあ。(苦笑)」

ん...?遠回しに、「そんなに我が強くっても俺みたいな物好きはいるもんさ」と励まされたのかな?(大苦笑)

まあそれはともかく、弟も私も、これからどんな道を歩んでいくのだろう。超えなければいけない山もたくさんあるだろう。けれど、お互いに対する不安はない。お互いに対して、どうにか目の前の山を乗り越えて次の山に登っていくだろうという、根拠のない自信がある。

弟よ2

5歳の頃、弟を妊娠していた母は私に聞いた。「Taeちゃん、妹が欲しいの?弟が欲しいの?」私は迷わず答えた。「お姉ちゃんが欲しい!」

その頃の私は100%お姉ちゃんに憧れていた。保育園で仲のよいトモちゃんも、千代ちゃんも、お姉ちゃんがいた。ラーメン屋のススムにだってお姉ちゃんがいた。お姉ちゃんはすごいのだ。ピアノを教えてくれたり、髪を結ってくれたり、一緒に着せ替えごっこをしてくれたりするのだ。だから、生まれてくるのがお姉ちゃんであれと心から願った。

だが、蓋を開けてみれば出てきたのは「猿の惑星」出身の弟だった。

しかし子供というのはなんと順応性が高いのだろう。あんなにお姉ちゃんが欲しかった私は、弟の誕生にすぐに適応し、すんなりと自らが憧れのお姉ちゃんとなった。実際、姉であることは悪くなかった。いや、悪くないどころか、生まれてきたのが「お姉ちゃん」だったら、そしてその「お姉ちゃん」が私のような人物だったら、私にとっては非常に困った事態となっていた。

なぜって…

―仲間はずれ
オママゴトに入れてあげない

―脅し
「○○しないとぶつよ」

―DV1
突き飛ばして釘を踏ませた(→病院行き)

―DV2
「三輪車に乗せてあげるね〜」といって無理やり一緒に乗せて思いっきり転んだ(→大たんこぶ)

―DV3
泣いて嫌がるのに自分のドレスを着させ、母のネックレスとイヤリングをつけさせ写真撮影した(姉の満足度100%、弟の傷心度200%)

あいやいやい、君もよく耐えたね、弟よ!

弟よ

私には6歳年下の弟がいる。ここ数年は二人とも実家から離れて暮らしておりあまり頻繁に会う機会もないのだが、たまに実家を訪れたときに偶然相手も帰省していて顔を合わせることがある。6歳の差とは意外と大きいものだ。弟が生まれると私は小学校に入学、弟が小学校に上がると私は中学に、弟が中学に上がると私は大学に、といった具合だ。幼い私は弟のオシメを換えたり、おぶって散歩してやったり、ミルクをあげたり(注:哺乳瓶)、それはそれは思い返すだけで涙ぐましい「おしん」のような少女時代だった。

そんなわけで、6歳も年の違う相手に自分と同じレベルの会話を求めるのはお互い無理な話なのだが、それを求めてしまうのは姉の悪いクセである。姉の試みによって始まる二人の会話はどこかで食い違い、かなりの確立で言い争いに発展してしまう。相手はまだ大学生とはいえ、お互い成人した身。もう少し歩み寄って「大人の会話」ができないものだろうか。

いや、もしかするとこの問題は「年の差」によるものではないかもしれない。離婚の理由ナンバーワンの「和解しがたい性格の不一致」というやつかもしれない。そうなると歩みよりは難しいが、逆に言うと歩み寄る必要はないのではないか。なにしろ「和解しがたい性格の不一致」が二人を隔てているのだから。

考えてみれば、幼い頃から二人はまるで別の惑星(相手は「猿の惑星」)から来たように性格が違っていた。そこで、そんな二人の「和解しがたい性格の不一致」を子供時代の記憶と親から聞いた話からケーススタディしてみた。

子供の頃:

―怖い顔をして脅かすと
私:泣いた
弟:爪を立てて相手の顔をギャッと引っかいた

―マイクを渡すと
私:しっかり握って離さない。次の歌い手が待っていようが構わず歌う
弟:それまで大声で歌っていたのに、急に小さくなって机の下にもぐってしまう

―おもちゃを買ってもらえないと
私:駄々はこねるが、あきらめる
弟:道に大の字に寝転がり、いつまでも大声で泣きわめく(←非常に迷惑)

―外国人とのはじめての交流
私:ガムをあげた
弟:ショックのあまり「キィ〜ッ」と奇声を上げ柱を登った(←これも非常に迷惑)

―補助輪なしの自転車
私:親に監督してもらい、転んで泣きながらしぶとく練習した(執念の女)
弟:親が気付いたときには涼しい顔して乗っていた

―授業参観で
私:真っ先に手を上げる。「先生、私をあてて!」
弟:先生に見えないように机の下で消しゴムを削る(←親には丸見え)

―おねしょすると
私:親に謝り自らシーツを換えた
弟:そ知らぬ顔して親の布団にもぐり込みそこで再度おねしょした。(別名小便太郎)

―親に怒られると
私:泣いて謝った
弟:「こんな家には住んでいられない」と言って家出した

…おお、こんなにも違うのか、弟よ!これじゃあ「和解しがたい性格の不一致」なはずだよ。

6歳の私に起こったこの世で一番素晴らしい出来事は、弟ができたことだった。

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