Where it all began

ものを作るのが好きだ。自分の手を使って作るのであれば基本的に何でもいい。素材と自分が合わさって新たなものが生まれる、それがたまらなく楽しい。仕事では「ものづくり」に直接関わることはほとんどしてこなかったが、プライベートでは気付くといつも何か作っていた。

弟は大学でデザインを学んでいる。彼も幼い頃から、ひとりで黙々と木を削ったり穴を掘ったり、ものを作ってきた。大学卒業後も、デザインはじめものづくりに関わることをしていくことだろう。

この間、弟と久しぶりに食事をしたときに、どうして自分たち姉弟はこんなに「ものづくり」にこだわってしまうんだろう、という話になった。二人とも思いついた理由は同じだった。それは、両親が私たちの育った家を手作りで建てたことだ。

友達について土地売買の抽選会に行った両親は、運よくも抽選に当たり予期せず土地が買えることになった。だが購入するには、3年以内に入居しなければならないという条件があった。計画外のことだけに、さあどうしようと悩んだことだろう。

100%体育会系の父と絵を描くのが好きな母が出した結論は、自分たちの手で家を作ることだった。建築は全く専門外の父は、「日曜大工の会」という勉強会に参加し、マイホームの建て方を研究した。共働きだった両親は、幼い私を連れて毎週末その土地に通い家を作った。基礎のための土掘りから全て自分たちでやったのだから、その労力は計り知れない。建築現場は格好の遊び場で、私もいつも喜んでついて行った。

3年の月日が過ぎ、期限ギリギリのところで何とか家は建ち、一家は新しい家に入居することができた。Tae、6歳。家族は4人に増えていた。

期限に間に合わせるために、とにかくまずは住めればいいということで、詳細は全て後回しだった。引っ越した当初はトイレのドアもなく(!)、壁もブロックむき出しだった。入居してからも、作り足したり改善したりと、家作りが終わることはなかった。

その家も入居からはや24年。去年はプロの手を借りて1階を大々的にリフォームした。まさに家族の手で作ってきた家がプロの手によって変わってしまうかと思うと、なんだか寂しい気持ちでいっぱいになった。だが、結果、以前とはまた違った魅力を持つ家になった。そして、内装が多少変わっても、土台には父と母が掘った溝があり、壁には彼らがひとつひとつ積んだブロックがあることを思うと、本質的にはなんら変わりのないことに気付く。

今年で60になる父は、現在ウッドデッキを製作中。1階と2階にわたるかなり大掛かりなものだが、本人は相当楽しんでやっている様子だ。暖かくなる頃にはバーベキューパーティができるだろう。

私たち姉弟の基礎には、手作りのこの家がある。そして、この家を作った父と母がいる。

Sister meets brother

久しぶりに弟と会って食事をした。例の6歳年下の「和解しがたい性格の不一致」の弟だ。大学3年生の弟は、現在就職活動の真っ只中。私はキャリアを築くべく方向転換奮闘中。二人ともひとつの転機に立っている。

相変わらずお互いに言いたいことを言いたいだけ言い合って、平行線上をまっしぐらに進む傾向があった。だが、二人とも少しは成長したのだろうか、人間らしく意見交換ができた。そして、これほどまでに性格が違うのに、弟の中には自分と同じ性質がはっきりとあることを再確認した。なんだかんだ言っても出所は一緒なのである。

ああだこうだ言い合ってお互いに一通りすっきりした後、店を出て駅に向かった。その道中、唐突に弟が言った。

「僕の男友達には、自分の考えをはっきり言えるような強い女性を前にすると引いてしまう奴が多いんだ。そんな女性は面倒くさいし、そもそも恐くて近づけないって。でも、僕は違うんだよね。僕はそういう女性のほうがかえって話しやすいんだ。まあ、Taeさんに随分鍛えられたからなあ。(苦笑)」

ん...?遠回しに、「そんなに我が強くっても俺みたいな物好きはいるもんさ」と励まされたのかな?(大苦笑)

まあそれはともかく、弟も私も、これからどんな道を歩んでいくのだろう。超えなければいけない山もたくさんあるだろう。けれど、お互いに対する不安はない。お互いに対して、どうにか目の前の山を乗り越えて次の山に登っていくだろうという、根拠のない自信がある。

A blessed fool

ドキュメンタリー映画『ダーウィンの悪夢』を観た。タンザニアのヴィクトリア湖にナイルパーチという外来魚が放流されたことを皮切りに起こる数々の社会問題を描いている。白身のフィレが食用としてヨーロッパをはじめとする先進国で売れることから、ナイルパーチ漁業はその地域の一大産業に成長する。だがその裏には、貧困、飢餓、暴力、売春、エイズ、武器の密輸入といった深刻な問題が隠されていた。この映画で映し出される貧困から逃れることのできない人々の生活は想像を絶するものだ。

中学の教員をしている母が、家庭環境の不安定な生徒が最近あまりにも多いと嘆いている。両親が離婚している生徒が多いのは言うまでもないが、両親も親戚もおらず小学生の妹を姉と二人で世話する生徒や、親の都合で毎週平日に神奈川と静岡を往復する生徒、そして高校を受験しに行くのに電車賃がない生徒―そんな生徒が何人もいるというのだ。昔から家庭で問題のある生徒はもちろんいたが、30数年教師をしてきてこんなにひどい状態だったことはないそうだ。

両親の愛情の中で育ち、生活に困ることなく、温かい家庭があるのが当たり前だった自分は本当に恵まれていると、今更ながら思う。高校で留学をさせてもらい、大学まで教育を受けさせてもらった。大きな病気や怪我をすることもなく、家族皆仲良く健康で生きてこれた。

恵まれた者は、その恵まれた環境を何らかの形で社会に還元することができる。これまで、自分と社会は別物と感じ、二者をつなげて考えることができなかった。取るに足りない些細なことで一喜一憂し、いつも自分のことで頭がいっぱいだった。

社会と自分の間の隔たりは、恵まれた環境にありながら、社会とのつながりを築く努力を怠ってきた自らの傲慢さなのかもしれない。

※『ダーウィンの悪夢』は渋谷シネマライズで2月9日まで上映中。

Happy Sunday

粉をパンにし、糸をセーターにする。
いつものコースをジョギングする。
かぼちゃのサラダを作りパーティの一品にする。
食べて飲んで話して笑って、友と時を過ごす。

作ること、走ること、食べること、友達と会うこと。
大好きなことをたくさんできた花丸の一日。

Feeling cats

幼い頃、猫があまり好きではなかった。何度か子猫を拾って帰ったことはあったけれど、犬派か猫派かといったら100%犬派だった。

小学校への通学路の途中に遊歩道があった。日当たりのよい遊歩道には、丸々と太った猫がど真ん中にドスっと座っていることがよくあった。きれいなグレーの毛をしたその猫は、私が近づいても半分目をつむった余裕の表情で、こちらを見るでも無視するでもなくそのままじっと動かない。こう見えて「ド」がつくほど小心者の私は、そんな猫が恐ろしくてたまらなかった。こちらを鼻で笑うようなふてぶてしい表情に足がすくんだ。近づいて睨まれたらどうしよう。いや、それどころではない、飛び掛ってきたらどうしよう!と、想像しだすときりがない。仕方なく後ずさりして、脇道にそれて遠回りをした。

今住んでいる界隈には、猫がたくさんいる。あまり毛並みのよくない猫が多いので、おそらく多くは野良猫だろう。成人した今となっては、猫が恐くて道が通れないということは勿論ない。むしろ、幼い頃のリベンジをすべく、通りがかりに猫を見るとちょっかいを出して冷やかすようにしている。どうするかって?「チューチュー」とネズミの声色を出すのだ。

だが、哀しいかな、ネコ様たちは私のネズミの声色などにはこれっぽっちも関心がない。振り向きもしなければ、けしからんことにアクビをしてみせる猫もいる。余裕のよっちゃんだ。こちらを見たとしても、それは決して「ネズミ?」という輝いた表情ではなく、「うるせぇなぁ」という迷惑顔である。それでもめげずに「チューチュー」とやる。猫に負けてたまるもんか!

どこに行くのやら、脇目も振らずタッタッタと我が道を行く猫。塀の上で丸まって日向ぼっこする猫。目を細めて毛づくろいする猫―ひもにつながれることもなく自由気ままに行動する彼らを見ると、なんだか仲間ができたような気がして嬉しくなる。Lonerな彼らを懲りもせず「チューチュー」とはやしながら、「よっ、今日も元気にやってるか?!」とサイレントモードで声をかける。

Yes!

「イエス」よりも「ノー」を多く言っているなあと思うことがある。進みたいのに足がズブズブと沼に埋まってしまうとき。重い霧で先が見えないとき。

そんなときは、とりあえず「ノー」と大声で叫んでみる。叫び続けてみる。疲れ果てて眠りにつくまで叫んでみる。

叫んで眠って、叫んで眠ってを繰り返すと、ある朝目覚めて第一声が「イエス!」だったりする。

「イエス」に向かって、歩いていきたい。
「ノー」の先にはいつも「イエス」があることを意識して。

Money can't buy...

それはそれは高いフレンチのコース料理を食べる機会があった。私にとってはどう考えても身分不相応だったが、ひょんなことからその会合に参加することになった。

摩天楼の41階にあるその店は、星をちりばめたような東京の街を見下ろしていた。モノトーンの色調の店内はライトを暗く落とし、BGMには軽くジャズが流れる。

数日分の昼食代もする食前酒を飲み、なぜか一番高いコース料理を注文することになる。次々に出てくるのは、超一級の旬の食材を使ったという、サイズも盛り付けも上品な皿の数々。まわりからは「美味しい」と感嘆の声が洩れる。

高層階からの眺め、店の内装と雰囲気、ウェイター、酒、料理、そして会話。この数時間がそんなに高価なものだと思うと、プレーバックして胃を空にしたくなった。

近所の友人宅でよく夕飯をご馳走になる。彼女の作る「味噌汁+納豆ご飯+ヌカ漬け」をいただくごとに、こう思う。「生きててよかった!」

感動は、お金で買えない。

ハートブレイク

外へ外へと噴出す思いと、内に内にと縮こまる思い。

この二つが同じくらいの勢いでぶつかり合う時、行き場のない感情が膨れ上がって心が破けそうになる。

「ハートブレイク」

Sentimental journey

1ヶ月ちょっと前、やっと自宅でインターネットに接続できるようになった。これまで2年数ヶ月というものネットレスな生活をしてきたが、ついに導入を決意。狭き我が家では、文明開化の音がした。

これを機に、Skypeに登録。早速エジプト在住の大学時代の友達と話してみた。多少の時差は感じたものの、エジプトは驚くほど近かった。これまでなかなか話すことのできなかった友達と、今ではマウスのワンクリックでいつでも気軽に連絡できるのだ。初めて国際電話をかけた時の興奮が甦った。

エジプトとの奇跡の通信直後に、今度は近所に住むこれまた大学からの友人とチャットに挑戦。

私:「あ〜、こちらパークハイム〜、パークハイム〜。受信確認願います、オーバー」
友:「え〜、こちら戸部〜、こちら戸部〜、受信成功、オーバー!」

近所の友とも通信成功!

この夜、私の心はネットに乗って地球をぐるっと一周した。『エジプト〜戸部・超特急サイバーの旅』は、とっても手軽でなかなかエキサイティングなものだった。

同時に、大学に通っていた10年前、毎日皆で騒いで笑ったあの頃がとても懐かしくなった。

Home, sweet home

年末からずっと実家に戻っていたが、やっと今晩東京の自宅に帰ってきた。こんなに長期の帰省は、実家を離れてから初めてのことだ。最初の数日は家族との生活にいまいち慣れず、なんだか借りてきた猫のような気分だった。だが1週間も過ぎると、ボス猫とはいかないが、子分猫ぐらいには昇格したような気がした(この年では「子猫」とはいかない)。慣れたのをいいことに、親猫の歓待に甘え、古巣の温もりを「ゴロにゃ〜」と満喫。そして、いざ東京の我が巣へ戻るとなるとなんだか寂しくなってしまい、帰京を「あと一日、もう一日」と伸ばし伸ばしにした。

だが、子分猫にはお腹を空かせて自分の帰りを待つ観葉植物ちゃん達がいた。そろそろ帰ってやらないと、干からびてドライフルーツならぬ「ドライ植物」になっちゃうな―
日に日に強くなるそんな思いに、ついに帰京を決意。10日間過ごした故郷を後にした。

電車を乗り継ぎ帰途につく。まるで夜逃げしたような大荷物を背負って、最寄り駅で電車を降りた。

「ああ、戻ってきたな」

ついさっきまで子分猫の身分に甘んじていたというのに、住み慣れた町に立った瞬間、一匹狼ならぬ一匹猫に戻りホッとしている自分がいた。

「にゃー、にゃー、にゃー」いろんなところでマーキングしながら、重い荷物を引きずって自宅へと向かう。小山の町は、よたよたと歩く私を、「まったあんな大荷物背負ってらぁ」と笑った。(小山の町は江戸っ子だ)

緩やかな坂を上ると、オレンジ色に光る東京タワーが、今日も私を「お帰り」と迎えてくれた。夜空では下弦の月が「ニカッ」と笑っている。

いつもは素通りしてしまう八幡神社に寄ってお参りをした。初詣はもう済ませていたのだが、なんだかこれが本当の初詣のような気がした。

今年も一年、楽しく健康に過ごせますように。

思いがけぬ再会

1ヶ月ほど前、脳の写真を撮るためにMRIの検査を初めて受けた。検査前に、「検査中に大きな音がする」と説明を受け、耳栓を渡された。何か異常があったら押すようにと、非常ボタンも持たされた。大きい音がするとは知らなかったので、どんなものかな、と、少し緊張して検査台に上がった。

検査が始まった途端、そのもの凄い大音量に驚いた。鐘を突くような音は、「ガーン、ガーン、ガーン」と脳に響くようだった。検査は20分程度で終わるということだが、いったい最後まで我慢できるのかと不安になり、非常ボタンを握る手が汗ばんだ。

「ガーン、ガーン、ガーン、ガーン」
「ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン、ガン」
「ガッ、ガッ、ガッ、ガッ、ガッ、ガッ、ガッ、ガッ」

音はいくつかのパターンで流れ、ボリューム全開で脳をリズミカルに叩いていった。その音を5分も聞いていると、催眠術にかかったように、不思議と気持ちが落ち着いた。狭い機械の中に耳栓をして横たわりながら、胎内で母親の鼓動を聞くのはこんなかんじかなあ、と思ったりした。

そうして目を瞑り仰向けになっていると、夢を見ているように、自分の知っている人達が映像となって浮かび上がり、脳の中を行ったり来たりし始めた。

日頃よく会う人、最近久しぶりに会った人、もうずいぶん長いこと会っていない人―規則正しく流れる音の中で、たくさんの人が現れては消え、消えては現れた。次から次へと登場する人々の映像はあまりに鮮明で、「この人達、写真に写ってしまわないかなあ」と、少し心配になったりした。

「はい、終了です」

白昼夢にどっぷり浸かった頃、検査終了の時間が来た。検査台から降りると、身体は全身マッサージを受けた後のように、少し気だるいかんじがした。

病院のドアを開けて外に出ると、もうあたりは薄暗く、冷たい風が吹いていた。街灯のともった夕暮れの道をとぼとぼと駅へ向かいながら、まだもう少しいろんな人に会いたかったなあ、と、妙なことを思った。

 | BLOG TOP |