「充電」だけでなく、いや、充電よりもっと、もっと、もっと、もっと、もっとーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー今の私に必要なもの。それは、「発散」じゃ〜!
あぉ〜〜〜〜〜〜〜〜ぅ!!!
明日荷造り、明後日引越し。
あぉ〜〜〜〜〜〜〜〜ぅ!!!

太陽に吠えろ。
あぉ〜〜〜〜〜〜〜〜ぅ!!!
新居の掃除&壁塗りを終え、やどかり態勢準備OK―
と思ったら、その後予期せぬ展開があり、伯母宅の2階でやどかり生活をすることが出来なくなってしまった。弟との部屋探しも都合上一時中断しているため、結局一旦実家へ引き上げることに。本来だったら本当の宿無しになっているところ、親のスネをかじることができる自分は幸せ者だ。と同時に、こういう事態にならないように計画的に物事を進めるのは大事だなぁと、自分の浅はかさに我ながら呆れ、反省。
この先、住居という面でどんな展開になるのかは今も未知数だ。できるだけはやく自分の屋根を確保したいけれど、とりあえずは親の好意に甘え、しばらく実家で充電。
充電―今の自分には必要だなぁ…なんて考えると、予想外の展開も含め、案外物事は進むべく方向に進むべくして進んでいるのかもしれない。
弟との部屋探しが難航気味―ということで、とりあえず仮の住まいを見つけ、来週末そこに引っ越すことが決まった。仮の住まいとは―小山在住の伯母宅の2階。4室ある貸部屋の1室がタイミングよく空いていたので、当面そこに住まわせてもらうことになったのだ。トイレ共同フロなし、築50年以上のとってもレトロな物件。
とりあえず屋根が確保できたということで、一安心。と同時に、毎月収入があることの大切さを改めて実感する。そして、「住む場所がある」というのはとってもとってもとって〜も素晴らしいことなのだと痛感するのでした。
新居の壁塗りを快く手伝ってくれた友よ、サンキュー!!
You are my life saver〜

新居にて、壁塗りの合間に
4月から学生―ってことで、今のような家賃はもちろん払えなくなる。従って、現在部屋探し中。部屋探しの好き&上手な友人とは違い、私は決して好きではない&非常に下手。いろいろ見ているうちに疲れてしまい、もうどうでもええわい〜!となってしまう。いかんいかん、これではいかん!
頭痛の種は、ルームメイトとなる弟君。美大生の彼はなんとワークデスクを3つ持っていて、そのうちひとつは1.2x2m。そんなでっかい机どこに置くんじゃ〜!というわけで、新しい部屋はとにかく広いというのが条件その1。
条件その2は、音が漏れない=角部屋&厚い壁。過去に神経質な隣人に悩まされた彼は、隣人恐怖症。誰にも文句言われず真夜中に音楽かけて作品制作したいらしい。おいおい、あたしが文句言うわい!
条件その3は、ロケーション。北東京(学校)〜鎌倉(バイト先)の真ん中あたりがいいんだとさ。あいあいさー!
条件その4はもちろん家賃、家賃、家賃!おお、哀しきかな無収入!
そんなこんなで、難航しそうな部屋探し。どうなることやらやら。
ところで、一人暮らしを考えている人いたら、あたいたち姉弟と一緒に三人暮らしはいかが?安くて広くて壁が厚い、東京と神奈川の境に住めますよ〜!うふ♪
母親と新生児、容器とフタ、ほうきと塵取り、ラケットとボール、ナイフとフォーク、カップとソーサー、フィッシュとチップス(・・・)・・・
世の中には離してはいけないものがある。
私の場合、それは・・・

足指ちゃんたち。
彼らはこのように離れ離れになってはいけない。
このように、いつも寄り添って互いを温めあわなければならない。

え?穴が開いてる?
そう、そんな世知辛い世の中だからこそ、離れてる場合じゃぁないのさあ。
4月からフルタイムの学生になることが決まり、今の職場で働くのも残すところあと2週間となった。この仕事に就いてからほぼ3年半。思い返せば、この間、プライベートでは本当にいろんな経験をした。
「この仕事に就いてからプライベートでいろんな経験」というのもおかしな話だが、事実そうなのだ。当時始めたばかりのこの仕事が安定していた反面、プライベートは大波小波の連続だった。振り返ってみると、直接関係ないように見えて、意外とこの仕事を始めたことがプライベートの転機につながったのかも、なんて思ったりもする。
今の仕事に就く以前の生活は、仕事もプライベートも波のない、よく言えば平穏、悪く言えば単調なものだった。それが、この3年弱で私のプライベートライフには幾度も嵐が到来し、大波にザッパーンとやられること数知れず。それまでのように浮き輪でチャプチャプ水遊びしているわけにはいかず、波に呑まれて流されながらも、少しずつ、でも着実に、「波に乗る」ことを覚えてきた。そうよ、わたしゃあ「湘南ガール」。「波乗り」なんて朝飯前!(おほほほほ〜)
考えてみれば、この3年半は20代の締めくくりの時期だった。12月で30を迎え、それと同時にひとつの時代が終わった、そんな風に感じる。幼少期、10代、20代、と、10年毎のくくりでみれば、これまでに三つの時代を経てここまできた。そして今、私の人生における第四期、「30代」が始まった。新しい分野に挑戦するという、それこそ大きな変化を伴ってのスタートだ。さあ、どんなスタートを切るのだろう。
これまで捜し求めてきたがなかなか見つけることが出来なかった「夢」や「目標」そして「希望」を胸に抱きながらも、「いったいこれからどうなるんだろう」という不安ももちろん無きにしも非ず。だがこの不安は、20代で感じた先の見えない、言わば「お先真っ暗な不安」とは違う。「なんとかやりくりして生活できるかなぁ」とか、「年金どうしよう、健康保険どうしよう、住む場所どうしよう」といった、非常に現実味を帯びた不安なのだ。
「夢」「目標」「希望」「不安」―未知の世界を前にしての抱負は、「行動あるのみ」、これに尽きる。自らが自らのエンジンとなり、自分という歯車を自分の力でまわして前に進む時、人は想像を超えた力を発揮する。そう信じている。
「自らが自らのエンジンとなる」―当たり前のことなのかもしれないが、意識的にこれを実行するのは時に大変難しい。しかし生きていく上でとても大切なことだと実感する。これに気付くのに、なぜここまで時間がかかってしまったのだろう―自分の未熟さに呆れながらも、方々で道草を食ってこんな遠回りをしたからこそ今の自分がある、と、心からそう感じる。そして、何と言っても、遠回りの道すがら出会ったたくさんの友人たち―彼らなくして、今日の自分はあり得ない。
そう認識した今、遠回りはもはや遠回りではないような気がしてくる。遠回りだと思っていた道のりは、実は最短距離であり、これが「人生」という私にとってのメインロードなのではないか。そう思う。
Thank you friends & これからもよろしく!
数年前の春、生まれてはじめて桜が大嫌いになったことがあった。まぶしいほど見事に咲き乱れる桜の全てが、どうしようもなく嫌だった。人々が花ごときに騒いでいることが無性に腹立たしく、満開の桜の下で飲んで食べて笑って楽しいときを過ごす人々を見ると、目を逸らしたくなった。そして何よりも、そんな風に全てをひねくれた目で見ている自分が嫌になり、喜びの季節は惨めに過ぎていった。
その翌年。桜の時期が近づくと、ああ、今年もまた罪のない桜ちゃんを嫌わなければならないのかなぁ、と、膨らんだつぼみを横目で見ながら、なんとなく気が重くなった。
数日後、前年に負けじと桜は見事に開花し、街は淡いピンク色で包まれた。心配とは裏腹に、桜を嫌う気持ちはすっかりどこかへ消えていた。皆と同じく満開の桜を心から楽しみ、前年一度も参加しなかった花見にも2回参加することができた。
怒りや悲しみが人に与える影響は想像以上に大きい。「負」の感情によって、美しいものは醜く、明るいものは暗く、楽しいことはつまらないことへと一変してしまうことがあるのだと、身をもって知った。
今年もまたこの季節が来た。桜ちゃん、今年は仲良くできるかな?
love for me
The day you took me to the small town,
where we shared our secrets
in silence.
The day I got lost.
Lost in emotion.
The day.
人は、意見や正論ではなく、ただ誰かに傍にいて背中を撫でてもらいたい時がある。
5〜6年前のこと。年上の友人ふたりと会った。ふたりのうちTさんは、病気をして手術をした直後だった。その上彼女には、闘病中の家族がいた。いろいろ大変な状況の中、Tさんには新しくやりたいことがあった。でも家族のことを思うとどうも踏ん切りがつかない、と悩んでいる様子だった。
その時私は、自分がやりたいことがわかっているならばそれをやるしかないのではないか、とTさんに言った。Tさんは、私はまだ若く経験もないので自分の気持ちはわかるはずはない、と、私の意見を全面的に却下した。私にはTさんの気持ちを害するつもりはこれっぽっちもなく、素直に意見を言っただけのつもりだったので、心外な彼女の反応に後味の悪い思いをした。
その場にいたもうひとりの友達Kさんは、私の顔も立てながら、「今は辛いけど、がんばってるんだから大丈夫だよ」と、意見や正論を言わずに、Tさんにただただやさしい言葉をかけた。
その後、Kさんとこの出来事について話した。私は、Tさんの気持ちを傷つけるつもりは全くなかったことをKさんに告げた。Kさんは、私の言い分はもっともだが、ああいうときはただ話を聞いてほしいだけだったりするんだよ、と私に言った。Kさんは、Tさんと同じ病気を過去に経験していた。
それから数年が過ぎた。私は、それまでにない辛い出来事を経験をしていた。どうあがいてもどん底から抜け出せず、ただ時が過ぎるのを待つしかなかった。寝ても覚めても涙が頬をつたった。注意力は散漫になり、それまで電車を乗り過ごすことなどなかったのに、ボーっとして何駅も乗り過ごしてしまうことが幾度もあった。これだけ自分は辛い思いをしているのに、世間は少しも変わらず平穏な様子で、地球は回り、日は昇った。
そんなどん底を這いつくばっていた時、私を救ってくれたのはたくさんの友人だった。ただただ傍にいて、私の話に耳を傾け、大丈夫だよと言ってくれた。そんな友達のあまりのやさしさに、また涙があふれて、ただでさえまん丸の私の顔は、2倍に膨れた。そして、以前Tさんにやさしい言葉のひとつもかけてあげられなかった自分を、とても小さく感じた。
thanks to you
We just spend feeling blue.
Oh, so blue.
What makes you swing?
What makes you glow so fine?
Who are you in love with?
やること。
継続してやること。
やったことを人とシェア(発表)すること。
昨日友達と現代アートの美術展に行った。面白い作品や、首をかしげてしまうような作品を前にして、「アーティストとは?」と思いをめぐらした結果、こんな結論(?)に至った。(この続きには「発表した結果認められること」などいろいろあるのだろうが、省略〜)
アートに限らずいろんなことに当てはまるような気がする。

余った糸で作るパッチワークブランケット。とにかくやらないことには完成しない。遠い道のりに目まいを感じながらも、ひたすらせっせと継続して。
完成したら?もちろん独り占めしないでシェアします♪
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