
最新の編機では、ホールガーメントといい、完成した形でニットを編み立てることができる。つまり、前後身頃も袖も全てくっついた完成した状態で製品が編みあがるのだ。もちろん脇や袖のとじや肩はぎなんかも必要ない。とじはぎが必要ないというのは、とてつもない時間(=金)の節約だ。いろいろ制約もあるようで、どんな形でもできるというとこまではいっていないようだが、それにしてもなんとも画期的な機械である。
このホールガーメントを、年末にとあるショールームで見てきた。ずらっと並ぶマネキンが着るニットを、裾をひっくり返したり袖を上げたりしてみると、脇にも袖下にもとじはぎがない。なるほど、確かに。
最新の技術を駆使して作られたニットをぐるっと一通り見て強く感じたことは、ずばり、それらの製品が「無機質」なかんじがしたということ。脇や袖下のとじや肩のはぎなんて、洋服で言えば目立つ部分ではないのだが、それがないだけで薄っぺらく無機質な印象になるのだ。とじはぎがなければ、ゴロつくことがなく着心地もよいのだろうが、機能性とは裏腹に、製品からは「温かみ」が感じられない。最新の技術で作られたものを見ているのに、心は全く動かず、なんとも不思議なかんじがした。
学校には、ホールガーメントの機械こそないけれど、自動横編機と2種類の手動の編機がある。これらの機械を使うと、もちろんひとつひとつの編目は狂いなく同じ大きさに編みあがる。一方、手編みはいくら上手な人が編んでも、一目一目の大きさにどうしてもズレがでてくる。普通に考えたら、編目の大きさが均一のほうがよいのだから、機械がよいに決まっている。しかも、手編みに比べ編み立ての時間は段ちに短いときた。
しかし、なのだ。やっぱり機械編みのものには、手編みの「温もり」が絶対的に欠けているのだ。
手作りのものには、背後にいる作り手のストーリーを語る不思議な力がある。ニットも同様、手編みの作品は、編み手についていろんなことを語ってくれる。きつく編まれた作品を見ると、「ああ、几帳面な人なのかな」とか、逆に編み方が緩いと、「あら、のんびりしてるな〜」とか。
揃っていないこと。完璧でないこと。
そこから感じる作り手の温もり。
最新の技術をもってしても絶対にかなわない、手作りの魅力はそんなところにあるのかな。