ちちんぷいぷい

時間があると、「後でも出来るから」と思って後回しにし、結局やらずじまい。
時間がないと、出来ないし。

時間は刻一刻と過ぎていくことを認識し、今ある時間を有効につかう―簡単なようでなかなか難しい。

某テレビ番組で、有名クリエイティブ・ディレクターが言っていた。

「プレゼンの前日は当然その準備をしなきゃいけないわけですが、毎回必ず、『やりたくないな〜。ゴロゴロしたいな〜』という気持ちとの葛藤になるんですよ」

うー、あなたもそうですか。
ちちんぷいぷい、怠けの虫よ、飛んでいけ〜!

Oh ジャック!

jack johnson

2年ぶりのジャック・ジョンソンのコンサート。野外コンサートということで、朝激しく降っていた雨にかなり不安になったけど、お昼過ぎには無事やんだ。相変わらず前座が長かった(3時間半!)けど、その前座も今回は見ごたえバッチリ。1年半前に湘南ビーチで見たTed Lennon & パパ、ハワイのグループKaukahi、そして2年前のコンサートでも前座をしたMat Costaが、それぞれ質の高いパフォーマンスをみせてくれた。特にMatのミュージックは、2年前に比べ確実にパワーアップしていた。身体は心なしか前より細くなってたけど・・・。

2年前のコンサートではどこか元気がなさそうだったジャックさんも、今回はリラックスして楽しんでいるように見えた。2年間でたっぷり充電したのね、きっと。古いアルバムと新しいアルバムから、泣かせるナンバーを次々と惜しみなく演奏し、間近から堪能。やっぱりジャックさんは野外コンサートがよく似合う。

ジャックさんに並んで(一緒に行った友達に言わせるとジャック以上に)素敵だったのが、ピアノのザック・ギル。自らもALOというバンドを組んでアルバムを出しているミュージシャン。お茶目なダンスで陽気に舞台を盛り上げるチャーミングなザックさんに、友達は目がすっかりハート型になっていた。

3時に始まって終わったのは8時過ぎ。寒空の下で鼻水たらしながらも、充実度は100点満点。ジャックさん、また来てね!今度はぜひ暑〜い夏に!

バックツーざパスト

cotton candy

ハチマキ巻いてカルメ焼き作りに挑戦する私を横目に、母はいそいそと綿菓子作りの準備を始めた。え?綿菓子って家で作れるの?

今回始めて知った、綿菓子の作り方―
ボトル型の缶の側面の下部と上部にキリで穴を開け、ボトルの中に砂糖を入れる。ボトルのフタを閉めてモーターにくっつける。段ボール箱の内側にアルミホイルを貼り、中央にアルコールランプを設置。ランプに火をつけ砂糖入りのボトルを温め、砂糖が溶け始めたらモーターのスイッチを入れてボトルを回転させる。するとボトルに開けた穴から溶けた砂糖が勢いよく飛び出してクモの巣のような綿になる。その綿を割り箸に絡めとって綿菓子の出来上がり。

今回は、アルコールランプの代わりにアウトドア用のガスバーナーを使用。火力の調整がいまいち上手くいかず、何度やってもお情け程度の少量の綿しか出てこない。それでもクモの巣のような綿がうっすら出てくると、母と二人で奪い合って即さま口へ。これじゃあ綿菓子できないんじゃん!

カルメ焼き作りといい、綿菓子作りといい、成功とは程遠い結末を迎えたものの、久しぶりの実験もどきで充実感は100%。「上手くいくかな〜」というドキドキ感と、失敗したときの「あちゃ〜」というガッカリ感、そして成功したときの「やったー!」感。心は夏休みの宿題で自由実験をした小学生のあの頃に、「バックツーザパスト」した。

カルメに乾杯

caramel.jpg

スーパーの特設コーナーで、なつかしの駄菓子が売っていた。色とりどりに並ぶいろんな駄菓子の中でもとびきり心惹かれたのがカルメ焼き。あの食感と、甘くてほろ苦いカラメルの味。おぉ!

どうしてもどうしても食べたくなって、家に帰り早速作ってみた。材料は、砂糖、水、重曹、卵白。<砂糖+水>を煮詰めてそこに<重曹+卵白>を入れてかき混ぜると、あーら不思議。煮詰まった砂糖が見る見るうちに膨らんで、カルメ焼きの出来上がり〜。

こう書くといとも簡単に聞こえるけど、これがどうしてなかなか難しい。ポイントは砂糖を煮詰める温度。120℃を越すまで砂糖を煮詰めないと、重曹を入れても上手く膨らまない。この温度調整を甘く見て、無謀にも温度計を使わずに挑んだ結果、失敗に失敗を重ねることに。

ひとつも成功しないまま二日目に突入し、ついに温度計を使ってさらに失敗を繰り返し、やっとこさ出来たのが上の写真。「たくさん作ろう!」と意気込んだものの、このひとつで力尽き、カルメ屋さんは店じまい。

たったひとつの成功したカルメちゃんは、サクッと甘く、舌の上でほろ苦く広がった。

過ぎていないこと、過ぎたこと

面白いからぜひ読んでみてと、友人から自己啓発系の本をもらった。彼女の話と、パラパラっとかいつまんで読んだ節からすると、いかに自分自身にフォーカスし、「今を生きる」ことを楽しむべきか、とか、そんなことが書いてある。

この友人と会ったときに、私はあることで頭を悩ませていた。大したことではないと言えばそうだが、その時の自分はそのことに困惑し、多少なりとも傷ついていた。この話を友人にしたところ、「そんなに悩むことないよ。全ては自分の気の持ちようなんだから。過ぎたことは過ぎたこと。はやく次に進んだ方がいい」というようなことを言われ、この本を読むように進められた。

過ぎたことは過ぎたこと。そして「今」にフォーカスすることの大切さ。本を読まなくても頭ではわかっている。だけど、なのだ。

悲しみ、怒り、困惑など、心に沸き起こる負の感情。この感情を消化するのにかかる時間をいかに短縮するか、さらには、このような感情が無駄に起こるのをいかに避けることができるか。熱っぽく語る友人を前に、彼女の意見を理解しながらも、私の心は「ノー!」と叫んでいた。

負の感情を時として持つこと、そしてそれを消化する過程を経験することは決して時間の無駄だとは思わない。心が痛むのは、それだけそのことが自分にとって重要だということ。「過ぎたこと」のひとことでやりすごすことが出来ないことだからこそ、傷つき悩むのだ。数時間、数日、数ヶ月、数年。傷の深さによってリカバリーに必要な時間は違う。必要な時間をたっぷりとって、またいつの日か歩き出せばいい。

彼女と話したときの私は、まさに「傷心リカバリー風呂」にどっぷり浸かっていたときだった。そのプロセスをすっ飛ばして「次に進め」なんて、そのときの私にしてみれば、風呂上りに素っ裸のまま−20℃の冬山をスキーで滑降しろといわれたようなもので、そりゃムリな注文だったのだ。

そんなこんなで友人のアドバイスがもっともながらそのときの自分にとっては的外れなように聞こえ、素直に耳を傾けることができなかった。会話は最後まで平行線をたどったものの、こんな強情な私に付き合ってくれた友人に感謝。

数週間を経て、無事「傷心リカバリー風呂」から出た今、やっと言える。

「過ぎたことは過ぎたこと」

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